この文章はわたくし個人の曖昧な記憶と主観による歴史禄です
記憶違い、誤解等、多々あると思いますので話半分で読んでください
「 BRAIN AND BLASTER 」 ができるまで
私がサバゲを始めた ( ※大人に混じってサバゲを始めたという意味 ) 頃
地元には複数のローカルチームがあり
人数の集まらないところは寄合でゲームを行っていました
川越ネットワーククラブ全盛期といえば地元の人には話が早いでしょうか
ネットワーククラブに入りたくて門を叩いた( 採用年齢を満たしてないのにハガキを出した )のですが、
丁重にお断りの電話を頂くも、受入れ先を探して下さり
「 ホワイトオール 」というチームを紹介され、キャリアスタート
第5回 川越CUP ( 1996年 )
当時はネットも携帯電話もない時代で、リーダーが電話で他のチームと日取りを決め、連絡網で周知していました
月に何回集まっていたかはとんと記憶にございません
千葉に遠征に行ったのと川越CUPに参加したのは覚えています
その後、一年経たずにチームが解散したと記憶しています
理由はリーダーが月曜休みになり、ゲームに参加できなくなった為
都内からの電車組はリーダーの送り迎えが生命線でした
あと、今にして思えば普通に仲が悪かった
会議 で別チーム発足が西川越のGUSTO( 今はもうない ) で決まり
宙に浮いた自分は無所属になりましたが
その会議に参加していた
この男に即 リクルートされ
その後、長く行動を共にするチーム「 ワルキューレ 」に移籍します
「 ワルキューレ 」 は策士なリーダーの力で
少数グループや個人 ( とりわけ問題児 ) を束ね、活動を継続します
この頃はKホビーが支援する 「 まむし 」というチームがあり、そこのゲームにもよく参加していました
「 ワルキューレ 」 として川越CUPに出た記憶もあります
佐野タクティクスでの川越CUP
左の柱からラーニャ氏、リーダー、自分です
解散後、限定的に復活し
リーダーと自分以外、アメガン繋がりのメンバーで参加した
第8回 川越CUP ( 1998年 )
そして上記の活動の中で顔は知ってても面識はなく
「 どっちかって言えばアイツ気に食わない 」 とお互いに思っていた
問題児2人が組んだのが始まりです、1998年か1999年頃ではないかと思います
それからしばらくは2人体制での活動が続きます、実際、どれくらいの期間だったのかはわかりません
地元のゲーム以外にもショップ主催ゲームに軽トラ荷物満載で参戦するようになります
続く
お世話になった人、場所、お店の話
サムズ主催の「 アホカリプス 」 へ
1996年 ( 25歩兵師団 )
2000年 ( ARVN ) で参加していました
2000年はコントゥム基地に駐留してました
ARVNに誘ってくれたS君
( 右から2番目 )
1996年にアホカリで紹介されたとき
年が1つしか違わないのにARVNをチョイスする男気にやられました
KTWのイサカのストックをノコギリで切ったのも度肝ぬかれました
あと、新品のERDFハットを庭に埋めると味が出て良いよってアドバイスですが
友達に話したら爆笑されました
一緒に鶯谷から歩いて笠利商店に行ったのを覚えています
ぶった切られる前の イサカ M 37 とS君
( 1994年か1995年と思われる )
この回以降、一貫して ARVN だった
一方で映画 「 SPEED 」 ( 1994年公開 ) からのSWATブームも盛り上がっていました
佐野藤岡のタクティクスや某廃墟 にも参加していましたので
海の向こうの本職が使うナイロン装備、シュアファイヤーにも夢中でした
地元にも本場でトレーニングを受けてきた方
( Oさんという、体格の良い方でABAの防弾マスクを被っておられました )
主催の練習会があり屋外にブルーシートとエンビパイプで部屋を作り練習していました
( ガンナーズのような練習メインのチームでした )
「 カッティングパイ 」 という言葉を初めて聞いたのはこの時じゃないかと思います
タクティクスでラぺリングも経験させて頂いたと記憶しています
A兄さんも面識があるそうです
某廃墟でのゲーム風景
( 場所は極秘で会員制クラブの様に参加者からの紹介がなければ参加できなかった )
初めて参加した日は雪が降っていて、コンビニで買った昼飯のピラフが凍っていたのを覚えています
板金屋さんに作らせたボディバンカーや、ほぼ全員がシュアファイヤーを装備し、ガキは度肝を抜かれた次第です
佐野タクティクスの見取り図
当時の買い物事情ですが
前述のとおりネットがありませんでしたので買い物は
実店舗へ赴く or カタログ、雑誌通販がメインの時代でした
PHANTOM、MASH、サムズ、アメリカ屋から
BUY OR DIE、やフォートジンボでNAM戦関係はお世話になりました
ブラックホールで三島さんにサインを頂いた事も記憶しています( 兵装ガイドにサイン )
洋書は渋谷のアルバンでした
ナイロン系は海外メーカー( イーグルやブラックホーク )へ直接発注する能力のある人に頼むか
実店舗ですとシーザムやアメガン( 狭かった頃、MVPセキュリティブーツとか扱ってた頃 )
若しくはリスコンがメインでした
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