BRAIN AND BLASTER our history

この文章はわたくし個人の曖昧な記憶と主観による歴史禄です

記憶違い、誤解等、多々あると思いますので話半分で読んでください




月曜休みになり、足を洗ったかに見えたリーダーですが

解散から半年ほど経ってから連絡があり、また日曜休みになった

で、昔の仲間がゲームやってるけどお前も来るか的な誘いがあり

前章で紹介した某廃墟を経て、アメガン主催の利根川のゲームに参加するようになります

参加者は今まで見てきた 「 サバイバルゲーマー = オタクっぽさ 」 がなく

垢ぬけてて、怖わそうなお兄さんばかりでした

ギラついているとでも言いましょうか、ウエルカムって感じでもなかったですし、最初コワかったです





当時の勢いを収めた 1ページ ( 1998年 )




参加者は皆 個性的で、スタイリッシュだった



それから、A兄さんも巻き込んで参加するようになってからしばらくの後

「 イト a.k.a パイセン 」 と出会います

パイセンは一人 「 WWU 」 の格好をしていて

「 ライアン 」 と呼ばれてました

( プライベートライアン公開は1998年ですが、十代からWWUを収集しているそうです )

D-DAYアサルトベストにブレーダーも装備していて完全な色物でした

( 当時の利根川ゲームはキラスタ系 ( ペイントボール系装備 ) のゲーマーが多かった )

「 ちょ、ミラー大尉 キタ━(゚∀゚)━ ! 」 と心の中で思いました

A兄さんも同じじゃないかな




初対面の時に近い恰好のパイセン
BARではなくトンプソンを使用していました


最初のコンタクトはゲーム中にパイセンが落とした手榴弾をA兄さんが拾ってあげた事です

自分はパイセンの車のカギにニルヴァーナの キーホルダーが付いていて

「 ニル好きなんですか? 」 的な話をした事を覚えています



年も近そうだし、サバゲ以外の話もイケそうだなと思った気がします

パイセンに限らず、利根ではその後も長くお付き合いする仲間 ( 先輩方 ) と沢山出会いました

そういう意味ではアメガンの利根川ゲームは重要な役割を果たしてくれたと思います



パイセンを仲間に迎え、チーム名の会議を西川越 GUSTO ( ここはHQ的役割を担っていた ) で行うのですが

ふざけた名前ばかり思いついて ( Akira Club とか )

消去法で 「 BRAIN AND BLASTER 」 が残ったと記憶しています



西川越 GUSTO 駐車場にて

6カラーが似合いすぎるA兄さんと自分

車はパイセンの RX - 7

こいつでもあちこち行ったな

この頃は週2回のペースでサバゲしてました。







Kホビーてっぽう館のプレイゾーン ( 有料貸出しスペース )


   
   
   
   









   
   
   
   
   
   


 

A兄さん、パイセン、自分
この頃のパイセンは髪が肩まで伸びていた
キムタクを意識していたかは不明

整地され、公園になる前の西川越河川敷
「 まむしフィールド 」にて



   
 



 

この軽トラでどこでも行った

燃費が悪いとおもっていたら、1気筒死んでいた
   
   



Nさんと自分
佐野TACTICSにて




パイセンの後ろにNさんとすぅさんが居ます
「 まむしフィールド 」 にて



A兄さん、Nさん、すうさん
佐野TACTICSにて




A兄さん、Nさん、自分、すうさん
佐野TACTICSにて



佐野TACTICSなのはわかるが時期が不明な写真



Nさんの彼女のサキちゃんに撮ってもらったんじゃないかと推測します

それにしても酷い写真だ

その他、概ねその時期と思われる写真です